2005年 04月 25日
ユダヤの祝祭日 |
NYに来てから、ユダヤ人文化に触れる機会が多くなりました。ユダヤ人と一口に言っても、一番戒律の厳しい正統派 (orthodox) から何段階かにレベルが分かれているようで、私の周りにいるのは一番戒律のゆるい人たちだと思われます。私が日本人の宗教観を聞かれて口ごもってしまうように、彼らにユダヤ祝祭日の由来を尋ねてみても、わからないと言われたりします。ですからユダヤ人文化に触れているというよりは、「ユダヤ人」と呼ばれる人たちの日常生活を間近に見る機会があるといったほうが正しいのかもしれません。
私の部署のユダヤ人2人が、土曜日に始まった一週間 (4/24-4/30) のお祭り、過ぎ越しの祭ペサハ(英語では Passover)について話していました。奴隷として虐げられていたユダヤ人がモーゼに率いられてエジプトを脱出する物語「出エジプト記」(英語では Exodus)に基づいたお祭りで、家族や親しい友人などを招き晩餐の宴が開かれます。
「出エジプト記」の物語を中心に書かれた Haggadah と呼ばれる本を、食卓に着いた全員が一節ずつ交代で読みながら宴は進んでいきます。この本は英語とヘブライ語で書かれており、わかる人はヘブライ語で読んだりします。ところどころにト書きのようなものがあり、例えば食卓に置かれた水の入ったボールで手を洗うタイミングとかワイングラスを持ち上げるタイミング、マツァと呼ばれる薄いクラッカーのようなパンをどこで割ってどこで口に入れるとかいった指示が事細かく書いてあり、式次第のような役割も果たしています。学生の頃、国際交流の一環で Passover Dinner に招かれたことがありましたが、楽しかったという記憶はありません。一節を読みきるのに精一杯で意味を取る余裕もなく、英語の授業で音読をしている気持ちがしました。何周したのかもう思い出せませんが、儀式が終わった時には目の前に置かれた食事が冷め切ってしまっていました。
カリフォルニア時代の同僚で、従弟や甥の Bar Mitzvah (ユダヤ人男性の成人式)がある度に休暇を取って東海岸の故郷に帰る男の子がいました。ある年は、成人式を迎える親戚が2人いたため有給をほぼ使い果たしてしまい、自分のためのバケーションが取れないと文句をいいながら。宗教色の薄い北カリフォルニアで、ユダヤ人を身近にしたのはその時が初めてでした。それまでユダヤ人の存在をあまり気に留めたことはなかったけれど、うちの近くに小さなコミュニティーがあったのかもしれません。土曜日になると正装したユダヤ人が歩いていたし(私のアパートがあった通りの雑居ビルの一室がシナゴーグだったみたい)、近所のスーパーにはコーシャー食品コーナーがありました。買い物客を見かけたことは殆どなく、一体誰が買うんだろうと思っていたものです。土曜日に正装してシナゴーグにいくのは正統派ユダヤ人だけなのかどうかわかりませんが、もしそうだとしたら、あの人たちは毎日コーシャー食を食べていたのでしょうか。「コーシャー」という、こちらでは日常的に耳にする言葉すら、身近な人の口から聴いたことはありません。
あの男の子は、遠くに住んでいたこともあり、お膳立てされた成人式に顔を出すだけでよかったけれど、成人式を迎える息子を持つ母親の準備といったら大変なもの。スーツの新調からゲストの選択、その後のお祝いの準備に至るまで、まるで結婚式のようです。
数あるユダヤ祝祭日の中で、他に同僚たちの話題に上るものというと、秋の贖罪日(ヨム・キプール Yom Kippur)と、冬の燈明祭(ハヌカ Chanukkah)です。ヨム・キプールについては、「過去一年間の罪の清算のために一日断食、いかなる仕事もしてはならない。聖書で命じられている唯一の断食日でユダヤ人にとっては聖なる日である。宗教心の薄い人たちもこの日だけは長い祈りが続く礼拝に出る」などと書かれていますが、私の知るユダヤ人たちは日中は会社に来ているし、断食はしているみたいですが、断食開けにご馳走を食べて大騒ぎしたりする方がより楽しみだったりするみたいです。
ハヌカは、その起源や宗教的意義云々よりも、クリスマスと同時期なので、家族間で小さなプレゼントを毎晩交換し、蝋燭をともしてご馳走を囲む楽しい1週間であるようです。
ところで、ユダヤの祝祭日に決まって休んでいる同僚たちは、有給休暇の申請をしていないのではないかと思っていましたが、福岡米国領事館サイトによると、米国では、少なくとも贖罪の日の数日間は休むことが認められているんだそうです。
ユダヤ教の祝祭日については東京・イスラエル大使館のサイトを参考にしましたが、残念ながらこのサイトは、セキュリティー上エキサイトブログにはリンクを張れないようです。画像も同サイトからお借りしました。
私の部署のユダヤ人2人が、土曜日に始まった一週間 (4/24-4/30) のお祭り、過ぎ越しの祭ペサハ(英語では Passover)について話していました。奴隷として虐げられていたユダヤ人がモーゼに率いられてエジプトを脱出する物語「出エジプト記」(英語では Exodus)に基づいたお祭りで、家族や親しい友人などを招き晩餐の宴が開かれます。
「出エジプト記」の物語を中心に書かれた Haggadah と呼ばれる本を、食卓に着いた全員が一節ずつ交代で読みながら宴は進んでいきます。この本は英語とヘブライ語で書かれており、わかる人はヘブライ語で読んだりします。ところどころにト書きのようなものがあり、例えば食卓に置かれた水の入ったボールで手を洗うタイミングとかワイングラスを持ち上げるタイミング、マツァと呼ばれる薄いクラッカーのようなパンをどこで割ってどこで口に入れるとかいった指示が事細かく書いてあり、式次第のような役割も果たしています。学生の頃、国際交流の一環で Passover Dinner に招かれたことがありましたが、楽しかったという記憶はありません。一節を読みきるのに精一杯で意味を取る余裕もなく、英語の授業で音読をしている気持ちがしました。何周したのかもう思い出せませんが、儀式が終わった時には目の前に置かれた食事が冷め切ってしまっていました。
カリフォルニア時代の同僚で、従弟や甥の Bar Mitzvah (ユダヤ人男性の成人式)がある度に休暇を取って東海岸の故郷に帰る男の子がいました。ある年は、成人式を迎える親戚が2人いたため有給をほぼ使い果たしてしまい、自分のためのバケーションが取れないと文句をいいながら。宗教色の薄い北カリフォルニアで、ユダヤ人を身近にしたのはその時が初めてでした。それまでユダヤ人の存在をあまり気に留めたことはなかったけれど、うちの近くに小さなコミュニティーがあったのかもしれません。土曜日になると正装したユダヤ人が歩いていたし(私のアパートがあった通りの雑居ビルの一室がシナゴーグだったみたい)、近所のスーパーにはコーシャー食品コーナーがありました。買い物客を見かけたことは殆どなく、一体誰が買うんだろうと思っていたものです。土曜日に正装してシナゴーグにいくのは正統派ユダヤ人だけなのかどうかわかりませんが、もしそうだとしたら、あの人たちは毎日コーシャー食を食べていたのでしょうか。「コーシャー」という、こちらでは日常的に耳にする言葉すら、身近な人の口から聴いたことはありません。
あの男の子は、遠くに住んでいたこともあり、お膳立てされた成人式に顔を出すだけでよかったけれど、成人式を迎える息子を持つ母親の準備といったら大変なもの。スーツの新調からゲストの選択、その後のお祝いの準備に至るまで、まるで結婚式のようです。
数あるユダヤ祝祭日の中で、他に同僚たちの話題に上るものというと、秋の贖罪日(ヨム・キプール Yom Kippur)と、冬の燈明祭(ハヌカ Chanukkah)です。ヨム・キプールについては、「過去一年間の罪の清算のために一日断食、いかなる仕事もしてはならない。聖書で命じられている唯一の断食日でユダヤ人にとっては聖なる日である。宗教心の薄い人たちもこの日だけは長い祈りが続く礼拝に出る」などと書かれていますが、私の知るユダヤ人たちは日中は会社に来ているし、断食はしているみたいですが、断食開けにご馳走を食べて大騒ぎしたりする方がより楽しみだったりするみたいです。
ハヌカは、その起源や宗教的意義云々よりも、クリスマスと同時期なので、家族間で小さなプレゼントを毎晩交換し、蝋燭をともしてご馳走を囲む楽しい1週間であるようです。
ところで、ユダヤの祝祭日に決まって休んでいる同僚たちは、有給休暇の申請をしていないのではないかと思っていましたが、福岡米国領事館サイトによると、米国では、少なくとも贖罪の日の数日間は休むことが認められているんだそうです。
ユダヤ教の祝祭日については東京・イスラエル大使館のサイトを参考にしましたが、残念ながらこのサイトは、セキュリティー上エキサイトブログにはリンクを張れないようです。画像も同サイトからお借りしました。
by mistymont
| 2005-04-25 02:36
| 歳時記